| 木像三体 | 法智妙圓霊位 | 島津義弘公位牌 | 東郷平八郎元帥直筆 | 開山石屋眞梁禅師大遠忌記念碑 | 十六羅漢木絵 | 宇宙の曼陀羅 | 金剛力士像画 |
| 愚丘妙智大和尚 | 開山石屋眞梁大禅師 | 竹居正猷大和尚 |
開山石屋禅師と弟子の竹居正猷大和尚、愚丘妙智大和尚の木像 (画像は福岡市美術館編集発行“悟りの美 西国曹洞宗寺院の什宝展”より) 廃仏毀釈を経て、昔のまま今も、妙円寺にある木像三体です。 550年の時を経ています。 島津義弘公は幼少より、たびたび、この石屋禅師の木像に参拝したと伝えられています。 妙円寺を訪れては、座禅を組み、学問や仏学を習いました。 晩年、義弘公は禅師の威徳を追崇し、妙円寺を菩提寺と定めます。自らも出家し、、 “維新公”と名乗った義弘公にとって、石屋禅師は憧れの存在だったということでしょう。 廃仏の際、御輿のようなもので、信者により運び出されたと聞いております。 また、この木像も、神仏分離令が解けるまで納屋にかくまわれて難を逃れました。 余談ですが、この木像三体や寺宝をかくまい、復興の際快く奉納された方々の家は、その後大変栄えていると聞きます。現世功徳など無いのだ、と説く曹洞宗でありますから、そのような良識を持った人であったからこそ、その後栄えたのだと改めなければなりません。 廃仏毀釈という愚行を乗り越え、この木造、寺の山号と寺号の由来である、大内義弘公の息女の“法智妙円大姉”の位牌、島津義弘公の位牌と共に、妙円寺が妙円寺として、明治という歴史の中に復興を遂げることができたのも、心ある人々の支えがあってのことだったのです。 |
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開山石屋眞梁禅師五百回記念大遠忌記念碑 (妙円寺境内) 題字…(島津家第三十代当主) 公爵島津忠重之書 碑銘…陸軍大将町田経宇之書 |
東郷平八郎元帥直筆 “励” 修行に励む、勉学に励む、武道に励む、 目標のために励む、今やるべきことに励む。 |
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東郷平八郎元帥直筆 “一致” 島津義弘公、徳川家康本陣、敵中突破を彷彿とさせる、 一致団結の“一致”。 二枚の書は東郷元帥の若き日の自筆であるとされており、 “顔”(判)も晩年のものとは違うということです。 若き日の東郷殿もまた、島津義弘公の“武運”にあやかりたいと、 奉納されたのでしょう。 その願いは後年、見事成就されました。 |
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当時の島津家歴代の、厚い仏教信仰が見てとれます。 |
十六羅漢木絵 廃仏毀釈の際に旧妙円寺より持ち出されたものです。 郷士の納屋でかくまわれ、難をのがれました。 復興の際に快く返還していただいたものです。 |
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2010年1月9日 油彩画家 岡野真人氏より奉納 阿吽一対であったはずの旧妙円寺仁王像、明治初期の廃仏により一体は裏山に捨てられ、もう一体は無残にも旧寺領地下に埋められました。しかし二〇一〇年、心ある画家の岡野真人氏によりその金剛力士が地中より復活いたしました。
油彩画家 岡野真人オフィシャルサイト |
宇宙の曼陀羅 天井画製作者 モダンアート協会会員 美術家 安田潤兒 島津義弘公をイメージした曼陀羅です。 安田氏は実際に義弘公の位牌を置き 入魂後制作いたしました。 その生涯のほとんどを戦に費やした義弘公へのオマージュです。 またこの天井画の制作過程は、鹿児島朝日放送のドキュメント番組として放映されました。 |