※編集中
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| ◆伊集院地域総合案内 | ||||||||
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「妙円寺が伝えてゆくもの」に掲載した 鹿児島県が日置市に対し取材指定した“鹿児島本線肥薩おれんじ鉄道”駅からウォーキングマップに関連する日置市JR伊集院駅及び徳重神社境内に設置されている伊集院町の史跡案内であります。 見事左記の当寺の存在が削除された形で、載せられております。 これがこの伊集院町の130年来の悪しき体質であります。 実に見苦しい。 古狸共による悪政は未だに続いているようであります。 |
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昨年までは妙円寺詣りに関する由来はまったく別の文章として紹介されていたように思います。 大内家や石屋禅師の名を都合の良いように使い、さも意義のある行事のように語っていました。ところが昨今建てられたと思われる徳重神社境内の日置市教育委員会によるこの妙円寺詣りの意義とやら。まずをもって 義弘公の菩提寺(現徳重神社)とは何でしょう。 そのような日本語は無い。 そして江戸時代の木曽川治水工事及び薩摩義士の功績と、明治建立の徳重神社参拝行事(現行妙円寺詣り)と何の関係があるのでしょう。 苦し紛れの取ってつけたような妙円寺詣りの意義とやらは、日置市伊集院町の恥以外の何ものでもございません。 |
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石屋禅師により薩摩曹洞禅宗の礎となった妙円禅寺。 その法灯は六百年にわたります。 しかし明治二年、廃仏の難に遭い現在の地に復興しますが、未だに歴史解釈の違いにより このように徳重神社境内に妙円寺の名の入った、記念碑などを建てる者もおります。 誠に不愉快極まりない話であります。 歴史とは受け取られる人間によって、 いかようにも変えられてしまうものなのでしょうか? |
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※はじめに…妙円寺団地内に妙円寺はありません! @妙円寺詣り(参り)行事大会開催に際し、行政は当寺に対しその寺号の使用許可を取っているか。 →× 役所の人間が当寺に来るどころか、電話の1本も受けたことはありません。 A「妙円寺団地」と名称を決める際、当寺の住職・総代、公団。伊集院役場三者による話し合いの場を持ち、書面捺印による承諾を得たか。 →×公団と伊集院役所のみの勝手な判断により決められている。 B住所表示も妙円寺1丁目など迷惑極まりないものであり、当寺の檀家さんがJR伊集院駅で「妙円寺さんまで」と言うと妙円寺団地まで乗せられて行ったり、住所表示の悪影響で、○○銀行妙円寺店/○○屋妙円寺店/妙円寺保育園などその寺号の乱用は目に余る。 はたしてこの様なモラルを持った町にW郷中教育”など語る資格があるのでしょうか!? もう一度わが身を省みて本質的なものを見つめなおす必要があるのではないでしょうか。 |
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| ◆日置市広報(まちの文化財) | ページTOPへ戻る | |||||||
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広済寺が妙円寺の寺領を越えたことはありません。 広済寺が伊集院で一番の大寺院であった!? それならば、「妙圓寺」建立されるまでは、と付け加えるべきでしょう。 臨済宗と曹洞宗は同じ禅宗で、お互い敬意をはらっています。 寺領の大小など寺の価値を決めるものではないのですが、 こういう間違った歴史伝道が現状W妙円寺参り”などの大嘘となるのだ。 公の立場であるはずのあなたがたの一反ずれた表現が、どれだけ多くの人に影響を及ばすか よく考えていただきたい。 この際ですので、真実を申し上げましょう。現在法智山妙円寺を護っている仁王二体は廃仏毀釈の際その廣済寺から運び出されたものです。 本来、妙円寺にあった仁王像は一体は徳重神社境内の裏林に投げ捨てられ、もう一体は地面に埋められた状態だといいます。 ですから、今回この広報誌に掲載されているW仏像”はけっして廣済寺跡のW仁王像”ではありません。 開山も御兄弟、深い御縁の臨済宗廣済寺と曹洞宗妙圓寺でございます。 しかし、このように歴史を勝手に都合よく造り上げて行く町も珍しい。 |
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